趣味のみぞ語るセカイ

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あの夏、いちばん熱かった日

 この時期になると必ず高校野球特番が組まれる。そして、高校野球特番で必ず扱われる名場面がある。あの夏、いちばん熱かった日のことである。

 

 私もその当時高校3年であり、れっきとした高校球児であった。だが甲子園には全く縁もなく、早々に最後の夏が幕を閉じ高校球児から受験生へのクラスチェンジを余儀なくされていた。

 

 とはいえ、ずっと野球ばかりやっていていきなり受験勉強に切り替えられるはずがない。予備校に行く金銭的余裕もなかった私は、自宅のダイニングに勉強場所を構えたはいいものの全く勉強に熱も入らず、テレビをつけては高校野球中継を眺めていた。人生で一番高校野球を見ていた夏である。

 

 勉強熱は上がらないまま甲子園で繰り広げられる熱戦は気づけば決勝になっていた。

 中京大中京VS日本文理

 高校野球ファンなら誰もが知っている伝説の試合である。

 とはいえ、この試合も最初から名試合であったわけではない。むしろ8回までの試合展開でいえば正直な話、「つまらない」試合であった。とりわけ、6回裏に中京大中京が6点取った時点ではワンサイドゲームになる気配も漂っており、判官贔屓の気持ちさえ起きないような展開であった。私もこの試合を見ながらだんだんと興味が失せていき、惰性で見ていた覚えがある。

 

 だが、6点ビハインドで迎えた日本文理の9回表の攻撃で、一気に意識をテレビの向こうに持っていかれる。

 

 経験者であればあるほど分かるとは思うが、野球とは本当に「流れのスポーツ」であり、何か「少しのこと」で途端に試合展開が変わってしまう。この試合ではそれが9回2死での四球であったように思う。あの時、堂林は点数差があるのをいいことに最後を三振で締めようとしていたフシがある。そんな油断にも近い心的余裕があったからこそこの試合は名試合になったのだ。

 

 日本文理の攻撃は続く。2人の打者に対して2ストライクに追い込みながら堂林はあと1つの空振りが奪えない。彼にとって理想のシメである三振によるゲームセットの青写真が彼にプレッシャーを与え、三振はおろか連続でタイムリーを打たれてしまう。その差4点。普通に考えればセーフティーリードではあるが、状況はもう普通ではない。

 

 中京大中京がセーフティーリードで終えるチャンスも失われる。日本文理の4番吉田がファールゾーンに打ち上げたフライをサードが取れず、それに動揺した堂林が死球を与えてしまう。

 

 ここで中京大中京が堂林を諦め、森本を再登板させる。だが、これも難しい。一度マウンドを降りた投手が再び登板するのはかなりリスキーである。登板後は身体がオフになるのはもちろん、それ以上に心がオフになるのである。それを再びオンにするのはかなり難しく、ましてやこの場面、平常心でマウンドに上がるのは不可能である。

 案の定、森本も四球を与えてしまう。2アウト満塁。これ以上ない場面である。

 

 高校野球ファンは往々にして判官贔屓である。負けている高校を応援し、優勝経験がない地域の高校が優勝してほしいと願う。そして、この場面で彼らが応援するのは、間違いなく日本文理の方である。

 

 初めて聞いた。甲子園で個人名のコールが甲子園全体から湧き上がるのを。次打者の伊藤は間違いなくこの試合の主役のひとりである。ここまでひとりで投げ抜いてきた日本文理のエースが打席に立っている。高校野球ファンはひとりで投げ抜くエースが大好物である。その伊藤が放った打球は三遊間を破る。走者2人が帰ってくるが、2人目は本当に微妙なジャッジ。わずかに追いタッチだったのをよく審判は見ていた。

 

 画面から響き渡る歓声と実況。「つないだ、つないだ。日本文理の夏はまだ終わらない」私ももうシャーペンは握っていない。無意識のうちにテレビのボリュームを上げ、かじりつくように画面を眺めていた。

 

 代打の石塚もつなぐ。これで1点差。もうどう転んでもおかしくない。これだから高校野球は面白い。

 

 5番若林の2球目、打った瞬間私は両手を挙げていた。画面が切り替わった瞬間、その両手はゆっくりと落ち、そして両手を叩いていた。まるで映画でも見たような形容しがたい感動。これを自分と同い年の子たちが繰り広げたと考えると、何も言えなくなった。

 

 あれからちょうど10年経つ。今でもあの日のテレビの向こうの光景は覚えている。そしてそれを超える感動は訪れるだろうかと、今でも時間があればチャンネルを甲子園に合わせている。