趣味のみぞ語るセカイ

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「天気の子」―リアリティに潜む違和感―

 遅ればせながら、ようやく「天気の子」を見ることができた。

 

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 物語の内容に関してはネタバレを嫌う性格のため言及しないが、個人的にはとても楽しめたし、満足のいく作品であったと思う。ただ、それよりも気になることが作品内に見られたため、今回はそれに言及していく。

 

 売れっ子映画監督の宿命である。

 映画に限らず、映像媒体では往々にしてスポンサーがつく。今回の「天気の子」にしてみても、「君の名は。」が成功したことによって新海監督のネームバリューがあがり、その結果多くのスポンサーがついている。当然ながらスポンサーは単に金を出すだけの慈善事業では決してなく、その見返りとして企業の商品やサービスを紹介してもらわなければならないのだが・・・

 

 言うまでもなく、新海作品の評価ポイントは「映像美」と「リアリティ」である。実際にある景色をあそこまで美しくアニメーションに落とし込める監督は他にはいない。その映像美がリアリティを生み出し、現実にある場所でキャラクターが躍動するのが新海作品の魅力である。「天気の子」も例外ではなく、新宿をはじめ東京の各所を舞台に登場人物が駆け回る。

 

 「天気の子」から感じた違和感は、上述した「スポンサー」と「リアリティ」の組み合わせに他ならない。

 通常アニメにて実在の商品を出す場合、パッケージの、特に商品名が全部映らないようにしたり商品名を変更するなどの配慮がある。新海作品でもそれは例外ではない。

 ところがスポンサーの商品に関してはそれが180度変わる。いかに商品名を出し、CMにするかが肝となる。「天気の子」に関しては、スポンサーが非常に多く、それに伴ってスポンサーの商品が正面から捉えられる描写が非常に多い。そして新海作品の描写力は言わずもがな、本物同様のパッケージが画面に映し出される。それが違和感につながる。

 

 よく考えても見てほしい。果たして、我々は日常生活でパッケージを正面から凝視する機会はそれほど多いだろうか。むしろ、他のアニメで描かれる商品のように、パッケージの一部だけを見ている方が多いのではないか(。

 

 「君の名は。」によって新海作品が評価されて新海作品にCM効果が高いことが証明されてしまい、また、新海作品の描写力が極度に高く映像美を追求していることにより、「天気の子」のスポンサーCM感が拭いきれない。リアリティに潜む違和感の正体がそれなのである。

 

 とはいえ、作品が素晴らしいことには変わりがない。次はCM感を気にしないで見たいものである。