趣味のみぞ語るセカイ

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【レビュー】こころ(夏目漱石)

 精神的に向上心のないものは馬鹿だ。

 

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 教員の頃はよくこの時期に「こころ」を教材として取り扱っていた気がするので、当時を懐かしんでピックアップしてみる。

 

 授業で扱うのは下の「先生と遺書」であり、「覚悟」の話とか、冒頭で上げた「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」というセリフだとかに関する話が中心となる。私自身も高校生の時に授業でこの教材を取り扱い、その当時はあまり面白さが分からなかったのだが、教員となって改めて教材研究してみると意外と面白い。

 

 「先生と遺書」の内容をざっくりと説明すると、「先生」とその友人の「K」が下宿先の「お嬢さん」に恋心を寄せるという話である。それだけ聞くと普通の恋愛小説と変わらない内容だが、これが書かれたのは大正時代。まだ恋愛結婚という概念がそれほど一般的ではない頃の話である。それゆえに、上で述べたKの「覚悟」が一つのキーワードになってくるのだ。

 

 Kは浄土真宗の家の出で、仏教の心得がある人物である。仏教において色欲は五欲の一つに数えられている。それゆえKにとっては、お嬢さんに対して恋心を抱き、心が揺らいでいることで仏道から逸れていることを感じているのである。だから、お嬢さんを得ようと「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」とふっかけ、覚悟について確認する先生に対して、Kは「覚悟(=お嬢さんを諦める覚悟)ならないこともない」ということを告げるのである。

 

 もう一つピックアップすべきは終盤のKの自殺だろう。Kが自ら命を絶ったのは先生がお嬢さんを奪ったからとはいいきれない。少なくとも、それが主な理由ではないはずである。Kの遺書には「自分は薄志弱行で到底行先の望みがないから、自殺する」とあり、また、「もっと早く死ぬべきだのに何故今まで生きていたのだろう」ともある。すなわち、Kにとってはお嬢さんに心が揺らいでしまったのに、行動に移せずいつまでも踏み切れない時点で既に「薄志弱行」であり、先生とお嬢さんが結婚するという時点で「到底行先の望みがな」くなったのだろう。そこには、先生がずるい手段でお嬢さんを手にしたことに対する恨みは感じられない。否、もしかしたらこのような遺書を残したことが、先生に対する逆襲なのかもしれない。そう考えながら読むと、『こころ』は断然面白くなる。

 

 私、先生、K、それぞれの人物の「こころ」の揺らぎや変化。まずはそこに焦点をあてて再度読み直してほしい。そしてそれから「明治の精神」という漱石が主題に掲げた精神について、よく考えてもらいたい。そうすると、およそ100年前に書かれたこの作品が、急に身近に感じられるようになるだろう。