趣味のみぞ語るセカイ

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【レビュー】「名前」の漢字学(阿辻哲次)

人名用漢字」という普段はあまり気にしないけれど、生命の誕生後に最も気にしなければならない漢字にスポットを当てた話。

 

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 仕事の都合でブログの更新が少しご無沙汰になってしまった。またストックを作らなければ。

 

 さて、本題に入ろう。

 今回はブログで初めて実用書(新書)にスポットを当ててみようと思う。今回は現代における漢字学のトップランナーにして私自身も授業のネタとして幾度となくお世話になった阿辻哲次氏の『「名前」の漢字学』を取り上げる。

 

 今回の作品は「人名用漢字」の変遷が主題である。「人名用漢字」は、昭和26年の「人名漢字に関する建議」にて「子の名にはできるだけ常陽平易な文字を用いることが理想である」という理念が掲げられたことを受けて内閣告示されたものである。ところが、この「人名用漢字」には大きな問題があり、常用漢字もしくは人名用漢字に記載のない字は子どもにつけることができないというのである。当然ながらそこに記載のない字を子どもにつけたいと考える親は少なくなく、その要望が多くなるに応じて人名用漢字の見直しが幾度となく図られ、今なお定期的に新しい字が人名用漢字に加えられていく。

 

「名は体を表す」というように名前は生きていくうえで非常に大切な自分だけに与えられたものである。それを与える親としてもそこに真剣に向き合い、考えるに考えて名前をつける。そうして考えた心を込めた名前を、政府に「その漢字は名前に使えない」と水を差されたら溜まったものではない。したがって、人名用漢字を設定する必要があるのかと疑問に思うところもある。

 

 その一方で、常識的に考えてありえない名前をつけようとする親も少なからず存在する。生まれたばかりの子どもに名前の拒否権はなく、止めることはできない。それを抑制するという意味では、人名用漢字の必要もあるのかもしれない。現状でさえ子どもの名前が多様化してきて人名用漢字を使っていても読めない名前がいくつもある。その中で普段使われない漢字を用いて名前を付けられては元教員としては辟易するばかりだし、電子化の昨今、登録ができないという問題も生じうるだろう。

 

 そんなこんなで、政府と親との間で板挟みになっている可哀想な「人名用漢字」。そんな可哀想な存在に少し注目してみてはいかがだろうか。